数学の哲学, by Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki?curid=1540389 / CC BY SA 3.0
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数学の哲学(すうがくのてつがく、英: philosophy of mathematics)は、哲学(科学哲学)の一分野で、数学を条件付けている哲学的前提や哲学的基礎、そして数学の哲学的意味を研究するものである。
数理哲学(すうりてつがく、英: mathematical philosophy)という用語が、しばしば「数学の哲学」と同義語として使われる。
しかしながら、「数理哲学」は、別の意味を少なくとも二つ持っている。
一つは、例えばスコラ学の神学者の仕事やライプニッツやスピノザの体系が目標にしていたような、美学、倫理学、論理学、形而上学、神学といった哲学的主題を、その主張するところでは、より正確かつ厳密な形へと形式化するプロジェクトを意味する。
さらに、個々の数学の実践者や、考えかたの似た現場の数学者の共同体が日頃抱いているものの考え方(=哲学)を意味する。
数学の哲学で繰り返し検討されているテーマには以下のようなものがある。
歴史上、多くの思想家が、数学とは何かに関して彼らの考えを明らかにしてきた。
今日でも数学の哲学者たちの中には、この種の問いとその成果をあるがまま説明しようとする人々もいるが、他方で、単純な解説に飽きたらず、批判的分析へと進む役割をもって任じる人々もいる。
西洋哲学と東洋哲学の両方に、数学的哲学の伝統がある。
西洋の数学の哲学は、ピタゴラス教団の教祖ピタゴラスを源流として、数学的対象の存在論的地位を研究したプラトンと、論理学や無限(実無限と可能無限)に関する諸問題を研究したアリストテレスにまで遡る。
数学に関するギリシア哲学は、彼らの幾何学の研究の強い影響の下にあった。
かつてギリシア人は、1は数ではなく、むしろ任意の長さの単位であるという意見を持っていた。
数は、多であると定義された。
それゆえ、例えば、3は、単位長の多を表しており、本当の意味の数では決してなかった。
また同様の理由で、2は数ではなく、1対(つい)という基本概念であるとする議論が行われた。
この理解は、「直線・辺・コンパス」という、たぶんに幾何学的なギリシアの視点に由来している。
その視点とは、幾何学的問題において描かれたいくつかの線が最初に描いた任意の長さの線との比で測定されるのと同様に、数からなる線上に置かれたそれぞれの数は、任意の初めの「数」つまり1との比で測定される、というものである。
これらの初期のギリシアの数の概念は、後になって、2の平方根が無理数であるという発見によって、打ち倒された。
ピタゴラスの門人であるヒッパソスは、単位正方形の対角線は、その辺と通約不能であることを示した。
換言すると、彼は、単位正方形の対角線とその辺の比を正確にあらわす(有理)数が存在しないことを証明した。
これが原因となり、ギリシアの数学の哲学は再検討されることとなった。
伝承によれば、この発見によって傷つけられたピタゴラス教団の教徒達は、ヒッパソスが彼の異端な考えを広めるのを防ぐために、彼を殺害した。
ライプニッツとともに、焦点は数学と論理学の関係へと、強力に移動した。
この見方はフレーゲとラッセルの時代を通して数学の哲学を支配したが、19世紀終期と20世紀初頭における発展によって疑問を付されるようになった。
数学の哲学のかわらない課題の一つは、論理学と数学の双方の基礎につながる、相互の関係に関わっている。
20世紀の哲学者が本記事の冒頭に掲げたような様々な問いを立てていく中で、20世紀の数学の哲学は形式論理学、集合論、基礎付けの問題への目立った関心によって特徴付けられる。
一方で数学的真理が避けがたく必然的であるように思えるのに、他方でその「真理性」の源泉がとらえどころがないままなのは、なかなか理解しがたい謎と言える。
この問題の研究は、数学の基礎付けのプログラムとして知られる。
20世紀の初め、数学の哲学者たちはすでに、これら全ての問題に関して、数学の認識論と存在論をどのように思い描くかをめぐって、多様な学派に分かれていた。
3つの学派すなわち形式主義、直観主義、論理主義がこのとき現れたのは、部分的には、それまで当然のことと考えられていた確実性と厳密性の基準を当時の数学、とくに解析学が満たしていないのではないかという当時広がりつつあった懸念への応答であった。
当時この問題は焦眉の課題であり、問題の解決を試みるのであれ、数学には我々の最も信頼できる知識という地位を授かる資格がないと主張す...
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