1番のアホエピソードは切羽詰まってもないのに中国で暴れ回った関東軍とそれを抑制できなかったお上
何かで聞いた話… 大急ぎで木製モーターボートを大量に作らなくてはいけなくなり、軍人が工場に命令を伝えに行ったが職人から「そんな短期間に作れるか!」と言われてしまう。軍人が「これは命令だ!」と言った所、「命令なら接着剤に早く固まれと命令しろ!」と反発される。 軍人は職人達に土下座?をして「この通りだ、何とかしてくれ!」と無茶振りを通そうとした…というエピソード。 軍人も上官とかから無茶振りをされてていっぱいいっぱいだったのかね…
追い込まれた人は、生き延びれるように脳が覚醒する。これは生き物の宿命なのだろうか…
ジンギスカン作戦は結局道路事情や環境の悪さで、苦労して連れてきた家畜達も道から転げ落ちたり病気で倒れたりしてほとんど役に立たなかったそうですね。
追い込まれると普段なら有り得ないと思う事でもやってしまうのは人間ならではと言うべきか
戦時中のアメリカ人はホットドッグ片手にスポーツ観戦してた 一方の日本人は視察と称して熱海温泉でしっぽりしてた
戦況悪化で物資が乏しくなって、寒天を用いて航空機のキャノピーを作ろうと研究した話が好き
薩摩弁で暗号の件は米軍捕虜じゃなくて鹿児島出身の日系人じゃなかったっけ?
行軍時に喋ったりしすぎて日本軍が得意な待ち伏せができなかったていう話もあるぞ
どこかの寺がルーズベルトを呪い殺す祈祷を熱心に続けた結果 本当に死んだので「やったぜ!」だったけど 戦局には寄与しなかった件
ウチの親父の先輩で南方戦線に行った人から聞いた話し 補給が途絶えて偵察用だか移動中の戦車見つけると夜襲かけて食料かっぱらいに行ってたんだと。 ある日の深夜に食料かっぱらいに戦車に近づいたら中から敵兵が出て来て太腿撃ち抜かれたから銃剣で刺そうとしたら銃剣奪われて逆に刺されそうになったんだと。咄嗟に剣を握って止めたけど引っ張られて両手の指が見事に切れかかって首に巻いてたタオルで両手を保護して命からがら逃げて来たんだと。爺さんからその話し聞いて弾が貫通した太腿とズレて繋がった両手を見せてもらったわ
旧軍は風呂敷広げすぎたわけよな
ジンギスカン作戦の一番酷いオチは 牟田口が戦後経営した焼き肉店の名前がジンギスカンハウスって名前だった事だと思う よく畳の上でタヒねたな…
日露戦争の時も、度々休戦があって有効を深めたようですが、日本酒とウォッカの交換が人気だったとか?
切羽詰まると一か八かの策が多くなるのは仕方ない
11:13 日本兵「イヤーッ!」 ロシア兵「グワーッ!」
父の話し 私の父は第二大戦時 工兵隊に所属してました。 千葉の海岸にタコ坪陣地を構築 するに当たり、 円匙、十字手(シャベルとツルハシ) が不足しているので 実家にソレがある者は、その数を申告したうえ実家に戻り供出するように。 但し、3日以内に戻ること との指示が有り、困った初年兵だった父は先輩に相談した。 「この指示の上手く出来ている所はだな、先ず数を申告させるとこ、兵隊に来てから実家にもどった事ないよな?なら、実家に無くてもお前の落ち度じゃないな、供出済みでありましたと言っとけ。 これが両親に会える最後の機会だからな。」 と言われたそうです。
開戦初期、イギリス軍が撤退した後の基地の倉庫に大量の砂糖が保管されていた。 砂糖だけあっても使い道が無く、どうしたものか悩んでいたら 『これで土嚢にして積み上げて防御陣地を構築しましょう!』 とか言い出したのがいて、良い案だと上官も賛成して早速積み始めた。 二時間程かけて立派な防御陣地が完成し、 万歳万歳してたらスコールが来て全て溶けてしまった。 という話を2ちゃんで読んで草生え散らかした思い出。
0:52 〜を語るスレ系でこういうフワフワした知識のやつ湧くとお呼びじゃねぇよって思う
@my-eg8ge